898:108◆90KoxUVipw:2008/02/27(水)04:21:29ID:jn8fAtqp0
願望を実現するためには「『エゴ以外の領域』に、安心して任せる必要がある」
と書きました。
しかし、これはなかなか上手くいきません。。
どうしたって理性が疑問を唱え、それを否定する材料を探そうとするからです。
しかし、これもよく考えれば当然のことです。
合理性を重要視する理性(エゴ)からすれば、全く関知し得ない
「別の領域」に任せることなど、自殺行為に等しいからです。
頭で分かったつもりになって
「よし、エゴ以外だな。それを信頼して任せよう!」
と決意したところで、エゴは総力を結集してそれを阻止しようとします。
しかもエゴへの信仰は、その人の無意識層にまで深く根を下ろしています。
意識上で「信頼した」と思っても、無意識の部分ではそうではありません。
無意識からの抵抗の強さは、意識部分の比ではありません。
まさに「潜在意識的」に、エゴの正当性を強力に主張するようなことが起きてきます。
「じゃあ、どうしたって『エゴ以外』の領域に任せることは不可能じゃないか!」
そんな風に思われても当然です。
実際、エゴにまともにぶつかっていっても、ほとんど勝機はないでしょう。
しかし、本当に勝ち目はないのでしょうか?
900:108◆90KoxUVipw:2008/02/27(水)04:23:32ID:jn8fAtqp0
ここで、私のかつての体験談を書きます。
(説明上、どうしても外すことが出来ないからです)
ただし、これから紹介するのはあくまで私の個人的経験であって、メソッドではありません。
私の行為にではなく、その思考プロセスの変化に注目してください。
また、少しショッキングな内容も含みます。決して真似しないでください。
真似したところで同じ現象が起きるわけではありません。
真似した人が何らかの損害を被ったとしても、一切責任は負えません。
以上のことに同意できたた人のみ、以下を読み進めてください。
不必要な具体的内容は省略しています。
あくまで思考プロセスの変化にのみ、注目してください。
901:108◆90KoxUVipw:2008/02/27(水)04:24:53ID:jn8fAtqp0
その時、私は非常に困っていました。主に金銭面でのことです。
************************
私は、ある期間スピリチュアルなメソッドに傾倒しては、それらに絶望して
また現実的に生きる、そういったことを何度も繰り返してきました。
スピリチュアルなメソッドで成果が出たこともありますが、
多くの場合は失望感と絶望を味わってきました。
要するにほとんどの場合、挫折していたのです。
そしてその反動で現実的に生きる、というサイクルを延々繰り返してきたのです。
************************
その時は、いわゆる「スピリチュアルメソッド」を自分なりに試していた時期でした。
「いずれ思ったような効果が出てくる」
そう思ってポジティブに過ごしていたつもりでした。
しかし、いっこうに効果が現れてきません。
そして、いよいよヤバイ状況になってきました。
タイムリミットは迫っているのに、何の変化も現れない。
「…またか!」
私はもう我慢できなくなりました。
903:108◆90KoxUVipw:2008/02/27(水)04:25:53ID:jn8fAtqp0
私は台所から包丁を取り出して、自分の胸に突き立てました。
死のうとか思っていたわけではありません。
しかし「もう我慢できない」という感情が、
思わず、そういった行為として現れていたのです。
包丁を突き立て、そのままブスッと行っていれば、今こうして私の文章を、
皆さんに読んでもらうこともなかったでしょうw
実際、
「もう、このままブスッと行った方が楽かな」
とも一瞬思いました。
しかし、さすがにそこまでの決意はありませんでした。
私は包丁を元の場所に戻しました。
しかし、私の気持ちは収まりません。
何度、こういった絶望感を味わってきたことでしょう。
今度の今度は、もう本当に我慢なりませんでした。
気がつくと私は、ひとりでに喋っていました。
気持ちを抑えることが出来ず、そうせずにいられなかったのです。
905:108◆90KoxUVipw:2008/02/27(水)04:26:50ID:jn8fAtqp0
「いい加減にしてくれ!もうたくさんだ!
ふざけるな!いつになったら実現するんだ!!
いい加減にしてくれ!
いい加減にしろ!!」
誰か具体的な相手にに対して、言っているわけではありませんでした。
しかし、言わずにいられなかったのです。
真夜中だったので大声は出せませんが、「もの凄く強くささやく」みたいな感じで、喋り続けました。
「いい加減にしろ!!
もうコイツは(何故か第三者視点でした)もたないんだ!!
今すぐ、何とかしてくれ!今すぐに!!」
何度も何度も、同じような内容の言葉を言い続けていました。
「コイツはもうもたないんだ!!今すぐ救ってくれ!!今すぐに!!
いつかじゃなく、今だ!今、今、今、今、今、今、今!!」
もし聞いている人がいたら、気がふれたと思ったことでしょう。
実際に、異常な精神状態だったかもしれません。
しかし不思議なことに、言っている間は真剣で、爽快でした。
気がどうかしている、という感じはなかったのです。
純粋に怒りとも祈りとも言えない感情を、声を押し殺しながらも、ひたすら表現し続けて
いました。自分が発している、言葉そのものになっているような感覚でした。
907:108◆90KoxUVipw:2008/02/27(水)04:28:15ID:jn8fAtqp0
「『今』救ってくれ!今!今!今、今、今、今、今、今!!」
連呼していたせいか、ジワ~ッと、今この瞬間に焦点が合っていました。
カメラのピントが、徐々に合ってくるような、そんな感じです。
それに気づきながら、でも、まだ続けました。
「今!今、今、今、今、今、今、今!!」
言いながら、私はあることに気づきました。
自分の願望に対して「いつか実現するだろう」と、実現を
「今この瞬間以外」に設定していたということにです。
そして、まだ言い続けました。
908:108◆90KoxUVipw:2008/02/27(水)04:29:15ID:jn8fAtqp0
「今!今、今、今、今、今、今、今!!」
もはや、なんだか気持ちよくなっていました。
焦りとか、不満とか心配とか、そんな感情はほとんど無くなっていました。
もう一つの重大なことに気がついていたからです。
「今この瞬間、何も起こっていない」
ということにです。
次の日、私はすっかり穏やかな気分になっていました。
そして、ふっと頭の中にインスピレーションがひらめきました。
(「今まで何故思い浮かばなかったのか」と思える、簡単なことです)
それを実行に移したところ、金銭面の心配はいとも簡単に消滅しました。
「今この瞬間、何も心配するようなことは起きていない」
それに気づいた翌日(厳密にはその日)のことでした。
912:108◆90KoxUVipw:2008/02/27(水)04:38:31ID:Zqe7/Y5Z0
このときの経験で、私は二つの重大な事実に気づきました。
1.願望実現を「いつか」に設定してる限り、何も起こらない
2.今、この瞬間には何一つ起こっていない
1の方は、インプットにおける重大な誤りでした。
「潜在意識は適当な時期に実現してくれる。
だからそれはいつかの未来のある時点だろう」
と、無意識に先送りにしていた事に気づいたのです。
別の領域(その時は潜在意識)を信頼しようとしながら、まんまとエゴの
常識的判断をセットにしていたのです。まさに、思わぬ落とし穴でした。
914:108◆90KoxUVipw:2008/02/27(水)04:40:10ID:Zqe7/Y5Z0
後で分かったことですが、「別の領域」に時間の概念はありません。
私たちのエゴが勝手に設定しているだけのことです。
「いつか」と感じている限り、それは永遠に「いつか」です。
だから設定する実現時期は「今この瞬間」以外あり得ないのです。
「明日」でも「今日」でもなく「今この瞬間」です。
インプットの時、それを意識してみてください。
そうすることが、別の領域に素早く手渡すということです。
「今この瞬間に実現するなんて、あり得ない!」
と考えるのはエゴの領域です。
そう思いながらインプットしても、それはエゴの範疇でのことです。
実際に実現するのは、エゴの感じている「今」ではありませんが、
そのエゴが「素晴らしいタイミングだなぁ!」と感じる瞬間に、それは訪れます。
いつまでも成果が出ない、という方。試してみてください。
916:108◆90KoxUVipw:2008/02/27(水)04:41:55ID:Zqe7/Y5Z0
2の方は、さらに大きな発見でした。
「もうどうにもならない!」
と思ったとき、実際には何も起こっていないということが分かったからです。
頭の中で起きていることをチェックしてみてください。
心配、不安、焦り、疑念、期待、失望、満足…
ほとんど、実際には「今この瞬間」何も起きていない事柄ばかりです。
過去や未来に対して勝手に思考を働かせて、その結果、ある種の感情を
味わっているというだけのことです。
エゴの独り相撲なのです。
本当に「今この瞬間」自分に起きていることは、ほとんどありません。
何か思考が働き出し、過去や未来に行こうとしたら、
「今、この瞬間!」と思って、思考を引き戻してみてください。
何も起きていません。
心配する必要は、何にもありません。
この「何も起きていない」という安心感。
これはまさしく、エゴから自由になった、本当の自分の状態を確認する行為です。
本来なら思考を働かせて心配していたところ、
思考を止めて「そうではなかった」事に気づくと安心します。
そしてこの「今この瞬間」の安心感こそが、次の瞬間の安心感を創造するのです。
919:108◆90KoxUVipw:2008/02/27(水)04:44:07ID:Zqe7/Y5Z0
よく「現状に満足せよ」と言われるのは、
「今の、不足を感じている状態で我慢しろ」ということではありません。
今この瞬間、安心して満足しているということは、まさに
「安心して満足した状態」を引き寄せる波動の状態であるということです。
何もなくても良いのです。することは「今この瞬間」に焦点を合わせること。
そうすれば、何も起きていない事が分かり、安心感が訪れます。
それを続けていれば、安心し、満足するような現実が自ずと現れてくる、ということです。
瞑想などしなくても、いつ、どこででも出来ます。
思考するのを止め、今この瞬間に焦点を合わせてみてください。
それは、あらゆるトラブルの原因であるエゴから解放された、
深い安心感と満足感を感じるという、とてもパワフルなメソッドです。
そしてそれは、その瞬間「エゴ以外」の領域とつながっている、ということです。
心配するのをやめれば、そんなことは起こらなくなります。
心配すること自身が、それを現実化するプロセスだからです。
エゴはそうやってマッチポンプをすることでしか、存続できないのです。
「エゴ以外」の領域とつながる機会が増えると、それまでエゴが作り出してきた
「問題」に対しても、別の領域からの、完璧な解決が与えられる機会が増えます。
そしてそれはその性質故「エゴの思いもつかない」解決策であり、
完璧であるが故「あっけなく」解決するのです。
こういう事が起きてくると、エゴ以外の領域への信頼が高まります。
これを習慣化してください。そのうち意識しなくても、勝手に手放せるようになります。
921:108◆90KoxUVipw:2008/02/27(水)04:46:55ID:Zqe7/Y5Z0
今現在、絶望の状態である人もいると思います。
しかし私がそうであったように、こういう方は、逆に願望実現に非常に近い状態です。
何故なら「絶望」という状態であるということは、
エゴがギブアップ、あるいはその寸前の状態であるということです。
理性では「万策尽き果てた」という状態のはずです。
こういうとき「エゴ以外の領域」と非常につながりやすくなります。
絶体絶命から起死回生、ということがよく起きるのは、エゴがギブアップして、
その権限を一時的に別の領域に手渡すからです。
しかし、敢えて絶望を経験する必要はありません。
場合によっては、これも私がそうであったように、
エゴが自分の生命を道連れにしようとすることもあり得るからです。
だから、そんな危険は犯す必要はありません。
「今、この瞬間」の喜びを感じて、それを拡大していけば良いのです。
必要なのは「余計な思考を手放すこと」だけです。
922:108◆90KoxUVipw:2008/02/27(水)04:49:12ID:Zqe7/Y5Z0
以上、part2でした。
最後に、これも体験上のことですが、
個人的に願望が最も迅速に叶うときというのは
「こうなったらいいな~!!でも、そうならなくても、別にいいや」
と思ったときです。期待があり、執着ゼロ、という状態の時です。
心の中で体験し、満足してポイと投げ捨てられたときです。
難しいですよねw
さて、ご指摘通り連投規制に引っかかって、もう限界ですw
(アナログ回線につないでたので時間がかかりました)
残念ながら放送時間が残り少なくなって参りました!
申し訳ありませんが、今日はもうレスできません!
それではごきげんよう、さようなら!!